サマチャレ2017学生感想文

学生スタッフの感想文を一部ご紹介します

団長補佐 影近 謙人

今年で大学4年。小学生の頃から関わってきたサマチャレも今年で最後となった。去年のサマチャレ本番が終わってから一年間、自分の中で思い続けていたことがあった。それは「無事に全員完歩させる」ということだ。去年は参加者の子どもへの配慮が行き届いておらず、熱中症によるリタイア者を出してしまった。自分の中では一歩間違えれば…という思いや来年以降のサマチャレに対する信用問題への危機感もあった。改めて全員完歩の難しさと認識の甘さを痛感させられた出来事であった。去年の反省から「今年こそは…!」と心の中に沸々と湧き上がるものがあった。しかし、そんな思いとは裏腹に今年は4年生ということもあって教員採用試験が目の前には立ちはだかっていた。普通ならば自分の将来を優先すべきであるが、生粋のサマチャレ信者である私は両方頑張ることを決意した。
そんなこんなで今年のサマチャレは始まった。スタッフ募集も例年よりもさらに力を入れたことで今年は学生スタッフ総勢48人と、どこかのアイドルグループほどの賑わいと活気を見せた。中には、「本番5日間だけ頑張ればいいんだ」と勘違いして参加を表明したスタッフも居たみたいだが現実はそんなに甘くない。サマチャレは5月から本番まで毎週末を使って研修がある。研修の内容は自分の人間力やスキルを磨いたりチームとしてのレベルを上げたりと様々である。中でも、船底外しという破壊力の強い研修がある。内容をかみ砕いて言えば、少人数グループに分かれお互いのサマチャレに対する思いを綴った文章を読んで“グループの中で誰が一番頑張っていないか”を決めるというものだ。今思い返せばここが一つの分岐点だった。この研修で大きく変わった人物を2人取り挙げたい。
まず、私のいたグループには今年で2年目の後輩であるKがいた。Kは能力も高く、任された仕事はきっちりこなすまじめな人であった。しかし、Kは1年目から自分の任された仕事だけをすればいいというような取り組み姿勢でサマチャレをただただこなしている様子だった。私はそんな姿を見てもっと高いところを目指してほしいと思い、頑張っていない人としてKを選んだ。その結果、Kは船底外しに選ばれた。そのときKは2年間の中で初めて涙を見せた。「これまでの自分では甘かったのか。悔しい。」そんな言葉を口にした。泣き終えるとKの顔は何か清々しいといった様子で吹っ切れていた。そんなKは今年からできた新しい役割の中心人物に大抜擢された。本番中、何もかもが手探りの中でそれでも屈せず挑戦し続けるKの姿は私たちに勇気を与えてくれた。Kには本当に感謝したい。ありがとう。次に、船底外しで頭角を現し始めたのが2年目スタッフのSである。Sは自信がなく、自分には能力がないと言って泣いてしまうことが多々あった。私はSに挫けることがあっても何度でも立ち上がる強さを持ってほしかった。そんなSであるが今年のサマチャレにかける想いはとても強くこの研修では逆に一番頑張っている人に選ばれた。それを期にSの目には力強さが宿り、少しずつ自信を感じ始めたように見えた。Sは本番5日間を終え最後にはスタッフ代表挨拶をするまでに成長した。研修の段階から、私は彼らに心の支えになるような言葉がけを多少はしていたが、困難に立ち向かい成長していったのは彼ら自身であり自身の力に依るものが大きい。今でこそそんなことを言えるのだが、最初は後輩たちの成長をどのように促していくのか迷っていた時期があった。私の中で後輩たちへのかかわり方が分からなくなっていたそんな時、ある人の言葉に出会った。「it’s all about your heart」、これは、なでしこジャパンの宮間選手が海外のサッカークラブに移籍する際に言った言葉で「すべては自分次第」という意味である。難しいから挑戦しないのか。独りだから達成困難なのか。結果が期待できないから頑張らないのか。そういうことではなく、やるかやらないかは自分自身の問題で、やろうとしなければ望む結果は絶対手に入らないのである。結局、自分を変えることが出来るのは自分自身ということだ。
最後になりますが、自分を変えようとチャレンジ出来たのも神下団長を始めとする社会人スタッフの方々、ともに高め合った仲間たち、参加者の皆さんと保護者の方々、ご理解頂いた地域の方々、家族、そして心の故郷となみ野のおかげです。本当にありがとうございました。


生活支援班 班長 中村 友貴

今年のサマチャレでは生活支援班長の役職を務めさせていただきました。去年は3班のリーダーを務めさせていただいて、勝手に今年も歩くのだろうと思っていたので役職が発表されたときは驚きました。僕が生活支援班長に決まったとき、周りのスタッフから「今年は休憩地ないんやなぁ」なんて冗談を言われて少し悲しくなったことを覚えています。先輩からも後輩からも、同期からも、生活支援班長になってから心配の声をかけられて、みんなから心配されるということは自分にまだまだ実力が伴っていないのだと感じました。僕自身は去年の生活支援班の活動のすべてを見ていたわけではありませんが、自分が見ただけでも大変そうだったので、班員をまとめて生活支援の仕事を全うできるか不安でした。生活支援班ほど事前準備が大変な役職はない、けれどその事前準備が命ということを聞いていたので事前の施設チェックには時間を見つけ可能な限り行くようにして班員同士で施設の情報を共有したり、可能な施設には2回目の確認に足を運んだりしました。我ながら頑張ったと思いました。ほかのスタッフからも事前準備に関して、生活支援班によい評価をもらっていたので本番もきっと大丈夫だと信じていました。

そして迎えた本番1日目、どこの施設でもバタバタしてしまいました。完全に詰めが甘かったのです。頑張ったつもりでいただけでした。雨の時の対応や、歩行隊の動線を考えることが全くできていませんでした。アナウンスでも情報が欠落して歩行班を混乱させてしまったこともありました。歩行班を雨にさらしてしまって、これで風邪をひいてしまって次の日以降の歩行に影響が出たら自分はどのように責任を取ればよいのかといたたまれない気持ちになる場面もありました。1日目を振り返って、全体的に詰めが甘かったということと、僕が班長として班員をうまく機能させてあげられていないということを感じました。以前「自分でなんでもやろうとするのがむらちゃんの良いところでもあり悪いところでもあるよね」と言われたことがありました。サマチャレ本番1日目の終わりにその言葉の意味にやっと気づくことができました。1日目の僕は班員に仕事を割り振らずに僕が勝手に奔走して勝手に壊れていくというような状況でした。「なぜ自分はそのような行動をとったのか、自分と対話をしてみて」と先輩スタッフに言われ、考えてみました。その結果、班員に散々「協力して頑張ろう!」と言っておきながら、僕自身が班員のことを信頼していなかったのだと気づきました。去年も感じた自分に矢印を向け、自分自身と対話することの重要性に今年も改めて気づかされました。失敗だらけの1日目でしたが、その分2日目以降の活動のヒントを得ることができました。2日目以降は歩行班の具体的な動線を考えたり、班員と積極的にコミュニケーションをとり、仕事を割り振ったりしました。徐々にではありましたが状況が改善されていくのを感じることができました。「生活支援班がリズムを作り出す、生活支援班が変われば全体も変わる」と教えていただいたことはその通りだったと感じました。

僕なりに奮闘したつもりでしたが、それでも至らない点が多く残りました。歩行班への配慮や、子供たちの成長を促せるような取り組みが不十分であったと思います。その原因は僕自身の問題発見能力や課題設定能力の乏しさだと思います。サマチャレ前に行われる研修でもほかの人の良いところや悪いところに気づくことができませんでした。研修の時点で気づこうという意識が足りなかったから本番でも気づくことができなかったのだと思います。習慣づけることで改善され得る問題だと思うので意識していきたいです。

今年のサマチャレ本番の5日間も苦しかったです。準備に時間と労力を費やしたのにこの結果かと、悔しい思いもしました。それでもやはり、今年もサマチャレをやってよかったと感じています。失敗からたくさんのことを学べたし、結果がすべての世の中の厳しさも知ることができたからです。今年感じた苦しさも悔しさも全部宝物です。それらをこれからの自分の成長の糧として物事にあたっていきたいです。

最後に、今年も皆さんにたくさんご迷惑をおかけしましたが、皆さんの支えのおかげで最後までやりきることができました。このサマチャレに携わった、多くの方々に感謝しています。ありがとうございました。


生活支援班 石山 雄也

サマチャレ本番は、けが人が多数出たけれども、社会人スタッフと小学生全員で完歩することができてよかった。全体的には成功だったと思う。だけど、個人的には成功ではなく失敗だったと思った。みんなでゴールをした時に感動していて涙を流していた人が多かった。自分ももちろん感動はしたけれども、その気持ちよりも自分のふがいなさへの怒りの気持ちが勝っていた。

役職発表の時、生活支援班になってとても悔しかった。運動することが大好きなので、歩行班になれなかったことがほんとうにつらかった。だけど、同時に、生活支援班に自分はなるべきだったことに気付いていた。ふとした時に気を抜いて他人事になってしまったり、周りを見て考えて人のために行動ができなかったりする自分には、生活支援班をする方が事業の成功のためには有効であるし、それらのような自分の弱点を改善する機会にもなるからだと分かっていた。だから、そういった弱点を克服したいという気持ちでサマチャレ本番に挑んだ。だけど、やっぱり自分のそれらの弱点は出てしまって、周りに迷惑をかけてしまった。そういった意味で、今回のサマチャレは、個人的には満足できなかった。

満足できなくて、自分の力のなさを実感ばかりしたけれども、学んだことは多くあった。一つ目は、周りを見て自分に何ができるかを考えることについてである。あまさんに、「何か手伝うことはありませんか?」と尋ねたときに、あまさんはぼくを体育館の玄関につれていって、何ができるのかを問うてくださった。答えは、ワセリンを拭くためのタオルを片付けることだったけど、自分は分からずに、靴をきちんと並べるというありきたりなことしかわからなかった。この体験はとてもいい経験になった。このようにして気付いて行動を起こすのだなってわかった。

二つ目は、自分は多くの人によって支えられていることを知った。いままでもちろんそんなことは分かっていたけど、正直、感謝の気持ちを本気で感じるほどではなかった。実際に自分が支える側になって初めて、自分が多くの人に支えられていることに感謝した。その気持ちを忘れずに、これからしっかりとお礼を言うようにしていきたい。

三つ目は、人を支えることは気持ちいいことだと分かった。ブルーシートやテントを用意したり、宿泊地ではワセリンや網戸、誘導などのセッティングをしたりなど、とてもきついことを多くしてつらかったけど、それによって、子どもたちが楽しそうに生活している姿を見たら頑張ってよかったって思えた。だから、これから直接お礼を言われるようなことでなくても、人のためになることであったら進んでしていきたい。

四つ目は、先ほど多く触れたことで、自分の力のなさである。休憩のときに自分のやることがなかったときには、歩行している人に補給をすることができたり、ワセリンがついた足で歩くと施設が汚れるからブルーシートを敷くべきであったり、宿泊には何の用意が必要であるか(ワセリン、電気つける、網戸、ラジカセ等)など自分の頭で何ができるかを考えて行動する能力の低さを実感した。これほどにも自分は役立たずな人間であったことに今になって気が付いた。

サマチャレはステップや事前用意がとても忙しくて、自分の好きなサッカーをしたり、同じ学科やサークルの仲間と遊ぶ時間がなかったりするから嫌だった。けれども、サマチャレの仲間に出会えたことはそのつらさよりも貴重なことであると思う。サマチャレの仲間は、自分に欠けているものを多く持っていて、とても自分にとっていい見本であった。このメンバーに出会えたから、自分の力のなさを実感することができた。先輩が卒業してしまう前に、先輩から多くのことを学んでいきたいと思う。もう一つ、これから意識していきたいことが見つかった。それは、他人に頼らずに一人で行動する機会を増やしていくことである。自分は寂しがり屋で、一人で行動することをいままで控えてきた。例えば、一人で外食に行ったり、ショッピングに行ったりできない。だから、まず、一人になる勇気を持とうと思う。そうすることと、さまざまなボランティアや集団に積極的に参加していくことが、今の自分には必要なことだと考えている。来年またサマチャレを続けるかはまだ決めていないけれども、もし続けるのであれば、来年はみんなの見本となれる人でありたい。とてもいい経験になりました。


生活支援班 室山 莉乃

私がサマチャレを終えての一番に感じたのは達成感でした。高道体育館から始まって高道体育館で終わったサマチャレでしたが、一日目から五日目までいろんな思いが私の中で芽生えました。初めてのサマチャレは歩行班ではなくサポート班としての参加でした。生活支援班として事前に宿泊地や休憩地の訪問をしたり、アポをとったり、レイアウトをつくって班全員で施設について理解し合ったりと始まる前からやることが沢山あり、正直すごく大変でした。まだ色々と未完成なところがあり、本番前から不安でいっぱいだったのが本音です。実際に一日目が始まり休憩地でのテント立てやブルーシート引き、昼食時の配膳の準備など想像以上に慌ただしく、初日は自分の仕事しか見えていませんでした。初日終わりに班長会議後に班長から反省点について話され、私たちはやることに精一杯で周りが見えていない、すべて曖昧に把握している。とのことでした。自分の仕事しか見えていなかったのがこのように周りにも伝わっているのだと思い、今後の反省点と課題として二日目は周りを見つつ自分の仕事に取り組みました。また生活支援班は各休憩地や宿泊地でのアナウンスもあり、最初は緊張してあまり声が出てなかったため注意を受けました。必要なことを出来るだけシンプルにまとめて、短い時間できちんと伝えることの大切さを日々実感しました。三日目になると仕事のパターンが掴めて時間通りにこなせるようになってきたのを実感しました。しかしその一方で雨が突然降ってきたり、急な変更事項にうまく対応するのは大変でした。変更事項があった時に班長任せなところがあって、班長の指示待ちをしてしまうところが自分の中での反省点として新たに浮上しました。私は今までのSTEPの活動でも積極性に欠けていて、誰かの意見を聞いてから自分の意見を言ったり、自分から何かを提案したりすることがほとんど出来ませんでした。直さないといけないと思っていてもついつい内気な性格が表に出てしまい、意見を言うことを躊躇ってしまっていました。自分のダメな部分が自分でわかっているからこそそのダメな部分が明白になった時、何度も悔しい思いをしました。だからこそ悔しさをサマチャレ本番に引きずりたくないと強く思っていました。それでも実際に仕事をする上で色んな改善点が見えてくればくるほどに焦りと躊躇いで自分の積極性や意見に目を向けることさえ忘れていました。一日目、二日目、三日目と各班で反省を行い明日の予定を確認しあった後に自分の今日の仕事への取り組みとサマチャレへの熱意を考え直しては悩みました。一日目から日数が経つにつれて疲れで笑顔が少なくなってきていた休憩地でのハイタッチ時での子どもたちの様子を見て、子どもたちが笑顔になれない分は私たちが笑顔で子どもたちを迎えることで子どもたちに何かを感じとってもらえるのではないかと考えさせられました。私は歩行はしていないし、子どもたちや歩行班の人達の実際の疲労や思いは共有することはできないかもしれないけど、サポート班としてできることを全うすることで伝わることがあると思いました。実際にハイタッチ時に笑顔で声をかけ、配膳や休憩の時に子どもたちに声をかけたり、自分なりに仕事以外に出来ることをしました。四日目の夜の寄せ書き時に子どもたちから、感謝の思いや劇面白かったよ。など自分が自分のことで精一杯になっていて見えていなかった点を子どもたちやほかのスタッフはちゃんと見ていてくれていたことを実感し本当に嬉しい気持ちでいっぱいになりました。だからこそ五日目のゴール時にゴールしたみんなの笑顔と涙は今でも鮮明に覚えています。サポート班として、ゴール時に携われたことを誇りに思いました。サマチャレは自分の弱いところや、自分に出来ていない欠陥点が鮮明に見えてきます。時には本当に辛くなることもありました。自分にとって最も向いていないようなことを任されたり、今までの自分なら無理だと弱音を吐いて逃げていた事も沢山ありました。それでも自分を変えるためにやり遂げたいという強い意志と忍耐力を身につけさせてくれたのもサマチャレだと思います。正直サマチャレを終えた今でも自分が以前より大きく成長したかは分かりません。でも確実に今まで感じたことのない達成感を味わったと思います。経験を確実に成長に繋げられるそんな人でありたいです。


活動記録班 新木 奨平

自分はとなみ野サマーチャレンジ2017を終えて得たものが2つある。1つ目は子どもとの接し方である。正直4泊5日というそれなりに長い期間で子どもと過ごすので仲良くなる機会は当然増える。だがSTAFFとしての責務として子どもとの接触をなるべく抑えることも神下団長に言われていたことだ。その2つが自分の中で決めかねあって、どうしたらいいのか分からなかった。子どもたちとの交流は確かに楽しいものであり、たいせつな機会なので大事にしたいと思っていた。しかし、いざやってみると楽しいばかりで仲良くなりすぎ、子ども達に舐められかねない状況に陥りつつあった。多分陥っていたと思うのだが、そのことに気づいた日から子ども達に煽りの姿勢を見せたところうまいこと嫌ってくれた様子だったので自分的にはなんとかなったと思っている。だが煽っていた理由はそれだけではない。子ども達もそうだったのだが、主にリーサブの人達からコールの声が聞こえなくなって来ていたからである。実際ひさをさんは声が枯れきて聞こえなくなっていたり、ツッキーも途中から声が出ていなかった場面が見られた。声が出ないならまだしも、子ども達に至っては元気が無くなってきている人数がどんどん増えているのが目に見てとれるほどだった。このままではダメな気がした自分は少し勝手な行動ではあったが、少しでもリーサブの力になろうと隊列の横に付き添い自分から大きな声を出して「聞こえないぞーーー」と周囲を煽って回った。STAFFや子ども達に嫌われると思った。しかしこの事業が成功しなくては今まで準備してきたことが台無しになってしまう。そうしたらさかすさんや途中で抜けたのぶしこさんに顔向け出来ないと思い嫌われ役になろうと実行に移した。社会人スタッフから「いらんことするな!」と言われるかもしれないと不安だった。こんなに不安だった日々は人生で初めてだったと思う。ただ今こうしていられるのもあの時の自分の中での決断があったからこそ子ども達に感謝されたんだと今でも思っている。

2つ目は限界を作らない気持ちだ。4泊5日の中で雨できつい日もあった。3日目なんて土砂降りで誰もが嫌な顔をしていた。そんな中での桃太郎の遅れ。わかしょと一緒に完歩したが、かなりきつい場面があった。砂利の下り坂では足の裏が痛くて歩きづらかったり、池の近くでは雷が鳴っていたりして歩く状況としては最悪のコンディションの中で3人一緒に歩き切った。これほど嬉しいかったことも今までなかったと思う。何せ最後に晴れてきて桃太郎のゴールを祝ってくれているような空だったからだ。ほかの人たちは雨の中ゴールしてすぐに雨宿りが出来た。しかし我々3人は土砂降りの中、自分を奮い立たせ完歩しようと全力だった。そんな中での天候の変化である。元気がでて、自然と足が動くようになった。山を越えてから足に違和感があったが構わず進むことができた。それだけ自分の中では危機に瀕していたのだろう。終わってみると清々しいほどに太陽がでていた。桃太郎の足の裏の絆創膏は剥がれて傷が見えていた。自分の足も水ぶくれと軽いマメが出来ていた。しかし、諦めていればあの感動や天候の変化はあり得なかったと思う。諦めていれば車に乗せられて桃太郎は宿舎に着き、そのまま虚しさとともに辞退していたかもしれない。限界を作るのは簡単で誰でもできることだ。自分の中の上限を決めてこれ以上は無理と思い込めば出来てしまうからだ。このサマチャレのテーマでもある「限界への挑戦」。この言葉の意味は自分の限界を知り、それをのばしていこうという意味からつけられたものだと思う。ただ、こうも捉えられるだろう。限界を知り、それを越えてさらに上へと自分を成長させていこうと。もし後の方の意味がテーマの本筋だとしたら誰もクリアしていないだろう。なぜならみんな元気だったからだ。もし限界を超えたならば、声も出ないはずだからだ。すぐに泣き出すはずだからだ。私は感動のゴールとは誰もがカラカラの喉を潰して叫び、泣きながら目標の達成を喜び合うものだと勝手ながらに思っている。それほど熱くなければ限界の挑戦という言葉は掲げられないと思う。しかし誰も倒れるほど頑張ったわけではないという点から前の方の意味の限界への挑戦だったんだなと認識を改めた。ある人の言われた「こんなもんなのか」の本当の意味はきっとこれだ。


活動記録班 高澤 愛

今回、となみ野サマーチャレンジ2017に学生スタッフとして参加し、多くのことを感じ、学ばせてもらった。初めてこの事業に参加した感想を大きく以下の3点にまとめる。

1点目は、子どもたちの持つパワーについてである。私は活動記録班という役職をもらい、5日間、カメラを持って子どもたちと一緒に歩いた。山道を走って隊列の先回りをしたり、歩きながら子どもたちやスタッフの写真を撮ったりと正直、体力的にキツイと感じる場面が多々あった。そんなとき、カメラのレンズ越しに見える子どもたちの様々な表情から多くのパワーをもらった。1日目や朝のうちは子どもたちもカメラにキラキラした笑顔を向けてくれ、その笑顔から元気をもらったのは言うまでもない。それだけでなく、辛い表情、泣きながら踏ん張っている表情、子どもどうしでお互いを支え合う様子など、子どもたちの限界へ挑戦する姿からも大きなパワーをもらった。また、カメラのバッテリー切れで次の給水所までただ子どもたちと隊列に混じって歩いたときがあった。短い時間ではあったが、写真を撮りながら子どもたちの表情を見ているときに比べて体力的に厳しいものであった。このときに、自分自身が子どもたちの様々な表情からから自然とパワーをもらっていたのだと実感した。これらは小学校教諭を目指す私にとって、子どもと関わることの良さを再発見できる、いい機会となった。

2点目は支えてくれる人の存在についてである。3日目に給水施設班や生活支援班の活動の様子を写真に収めながら仕事を手伝う機会があった。ここで3日目にして初めて歩行班を支える人々の存在に気付かされた。時間がないなかで、重い水を何本も持って準備し、大変であるにもかかわらず、辛い表情は一切見せないで給水、散水を行う給水施設班の様子。走って走って、休憩地の施設の準備をしたり、子どもたちやスタッフの重い荷物を運んだりする生活支援班の様子。どれも、1日目、2日目と歩くことに必死だった私には見えていなかった様子であった。このような様子を目の当たりにして、見えないところで支えてくれている人々の存在に気付かされた。歩くことに必死になっていると、テントがきちんと建てられた休憩地で給水してもらうことや、宿泊地に自分の荷物があること、宿泊地を快適に利用できることなどが当たり前のように感じてしまいがちである。しかしこれは影で頑張ってくれている人がいたからのことであって、感謝しなくてはいけないと感じた。

また、ある班で歩行の際に遅れた子どもの名前を歩調コールに取り入れて応援している姿が見られた。遅れている本人にはこの声は直接は届かないし、誰かがこのことを伝えなければ応援されている本人は知ることができない。そんななかでも、班のメンバーで遅れた子どもを応援する姿に感動するとともに、見えないところで支えて、支えられているんだということに気付いた。これらのことはサマーチャレンジだけのことでないと感じる。当然ながら生きていくためには誰かと支え合って生きていかなければならない。自分のことに必死になったり、自分が辛い状況であったりすると、自分を支えてくれている人の存在を忘れてしまいがちである。目に見える支援だけでなく、影での支援も含めて、周囲からの支援への感謝を忘れずに生活していきたい。

3点目は広い視野をもつことの大切さについてである。私は最初、活動記録班としていい写真を撮ろう、全員をバランスよく撮ろうと写真を撮ることそのものばかりを意識していた。もちろんこれらのことは大切ではあるが、写真を撮ることに加えて子どもたちを笑顔にして励ますことも自分にできることであると気がついた。辛い表情で歩いていた子どもでも遠くから「写真撮るよー!」とカメラを向けると笑顔でピースを向けてくれる。その際に、ただ写真を撮るだけでなく、「いい笑顔!その笑顔で頑張れ!」と一声かけてあげるだけで、より意味のある仕事になる。このように、広い視野で物事を捉え、自分にできることは他にないか、更によくするためにはどうしたらいいか、という視点を持つことが大切であると学んだ。

最後に、このように様々な気づき、学び、感動を与えてくれたとなみ野サマーチャレンジに感謝する。関わってくださった全ての方に感謝し、今回学んだことをこれからの人生に生かしていきたいと強く感じる。

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